今年の正月のこと。
うれしそうに年賀状の仕分けをしていた妻が数枚のはがきを手渡してきた。
ぼくは年賀状をほとんど出さない。
人付き合いの少ない仕事をしているし、友人がほとんどいないこともある。
年賀状をくれるのは自動車のディーラーか電気屋さんくらいで、個人でくれるのは律儀な親戚のおじさんくらいのものだ。

ある年、思い立って年賀状をこちらから出すのを一切やめてみた。
いただいたものにだけ返信してみることにしてみると、だいたい5年くらいたつとほとんど来なくなる。
向こうだって面倒くさかったのだと思うことにした。

確かに若干の寂しさはある。
しかしながら、元旦から差出人をチェックしてこちらから出さなかった人にあわてて返信したり、枚数が足りなくなってコンビニに走ったりすることに比べればずいぶんましだ。

そんな正月を幾度か迎えた頃、その年賀状が来た。
何十年かぶりに見る文字ではあったが端正な文字に見覚えがあった。
それは中学時代に仲の良かった同級生で、二十代の中頃までつきあいのあった男だった。

ある年の年賀状に
「外国に行って勝負してくる。」
とだけ書いてきてそのまま音信不通になっていた。
風の噂も何度か聞いたがあまり芳しいものではなく、幸せではないのだろうなくらいに思っていた。

俺のことを覚えていてくれたのだのなと思うと少しうれしかった。
当時の友人とも全くの没交渉になっていて誰も住所を知らないはずなのに不思議な気持ちがしたが調べる気になればわかるのだろう。

少なくともこちらは親友だと思っていた。
日本にいて住所がわかるのなら連絡をくれればいいのにとも思ったが、あちらにはあちらの事情があるのだろうと思うことにした。
プライドの高い奴のことだから、なにかとうまくいっていなのだろうか。
それとも俺の人生がうまくいっていないことをどこかから聞きつけて気を利かせているつもりなのだろうか。
奴の人生も無駄なプライドが足かせになってうまくいかなくなってしまっているとしたら相身互いということか。

妻は同級生に連絡をとって事情を聞けとうるさいが、あいにく俺にはそんな友人はいない。
40年生きてきて同窓会にも出席せず、年賀状の一枚も来ない男の人生を考えてみてほしいと思う。

それでもインターネットを使って当時奴が住んでいた家の辺りを調べてみた。
便利な時代になったものだ、写真付きで確認できる。
建物は当時とは違っていたが、たまたま読み取れた表札を確認すると奴と同じ名字だ。
確か奴には弟がいたのでそこに住み続けているのかも知れない。

俺は妻が返信用に取っておいていた年賀状を一枚もらって、奴の昔の住所に年賀状を送ってみた。さて、どうなるものか。
宛先不明で返送されてくるのか、
「兄は数年前に亡くなりました。」
などという返信が来たらちょっとしたホラーなのだが。